進路に悩んでいる高専生にも悩んでいない高専生にも

6年間通った高専を退学することになりました。

記事提供:清水 悠平
掲載元:清水 悠平 NOTE(6年間通った高専を退学することになりました。)
※この記事は2019年4月16日に投稿された記事です。


はじめまして、先月に高専を退学した清水です。
現在は、起業の準備のために、インターンをしながらお金を貯めています。
6年前、なんとなく高専に入学した僕は、進路ミスった、、人生終わった。。。。とかめちゃくちゃ悩んだことをキッカケに、どれだけ楽しめるか??と転換し、自分探しをしていました。その結果、人生をかけてしたいことが見つかり、退学することを選びました。そんな高専6年間の経験を備忘録として書きました。

目次

  1. 小・中学校の原体験
  2. 高専時代の原体験
  3. 休学できない
  4. 高専6年間で、学んだこと
  5. 今後について

小・中学校の原体験

なんで、起業なんかしたいんだっけ??と考えたら、小、中学生に僕の原点があった。

小学生時代

小学6年生のとき、校長先生から「清水君は将来何になりたいの??」と聞かれ、

「社長になりたい!!!」

と心の中で叫んだ。理由はお金で嫌な思いをしたくなかったから。好きなことをお金に気にせずに好きなだけしたい。これが僕の夢だった。

こんな思いを生んだのは、母親の影響からだと思う。当時の僕は週6で習い事していて、それなりのお金がかかっていた。そして、”お金”が原因で両親が喧嘩を始めることもよくあったし、いつも喧嘩の仲介をしていた。

「あんたにどれだけお金がかかってると思うん?」

この言葉は当時の僕が一番聞きたくなかった言葉で、聞くたびに両親への申し訳なさを膨らませていった。日々言われ続けたこの言葉は徐々に頭の中に染み付いていき、将来はお金で嫌な思いをしたくない、お金持ちになりたい、という目標に変わっていった。当時から好奇心旺盛で、したいことが山ほどあった僕にとって、お金が原因で諦めることは本当に嫌だったからからだ。

中学時代

そんな僕が中学生になり、モノを作ることが好きだったことに気がつく。キッカケは、別の中学にいた友人が、ばかっこいい動画をアップロードを見たことだった。急に生まれた対抗心から、すぐに10人程を集めて、動画を撮影をした。そして、僕は動画編集にはまってしまう。その後、剣道の引退する先輩にフォトムービーを作ったり、中学の文化祭のオープニングビデオなんかも制作して楽しむようになっていった。特に文化祭での反応は忘れられなくて、会場が沸いた瞬間、舞台袖で1人感動し、ニヤついていたのを鮮明に覚えている。
自分で企画して、モノを作って、誰かに見せて反応を見る。この一連の流れが本当に好きだった僕は

モノを作るのが好きだ。

と思い、高校は津山高専に進学した。

高専時代の原体験

モノを作れるならなんでも楽しいかなぁと考えていたが、この安易な進路選択が自分を苦しめることになった。

僕の所属した学科は、機械科目を中心に電気や、情報分野も学ぶ制御科だったのだが、本当に向いていなかった。それに、周囲の友人の熱量が高すぎた。授業を受けるたびに、自分のしたいことがこれだっけ?と自問し、葛藤する日々が続いた。

「お前なんで高専なんか来たん、」

「お前高専生らしくないな、」

友人からもそう言われ、高専が自分の居場所ではないとさえ思えていった。

好きだったモノ作りってなんだっけ。

しかし、学校は辞めなかった。自分のやりたいことが明確でもないのに、辞めるのは逃げだと思ったからだ。

そして、僕は二つのことを頑張ることにした。一つは部活動を本気ですること、もう一つは本当に好きなことを見つけることだった。そして、今まで読みもしなかった本を買うようになる。これが自分を変えるキッカケになっていった。

高専3年生になった頃、企画やマーケティングのビジネス書中心に、無意識に読み始めるようになっていた。(おそらく、父親がSEからマーケティング部門に変わっていた話を聞いて、自分もこっちの方が向いていると思ったかもしれない。)そうしているうちに、ビジネスのアイデアやモノをどうやって売るのかというマーケティングなどにエネルギーを使うようになっていった。

そして、マーケティングや企業組織の本を読んでいるうちに、あることに気がつく。高専では、モノづくりをするための”手法”しか習っておらず、就職後は”企画”や”顧客”から程遠い部門に配属される確率が高いと悟った。また、自分の好きなモノづくりは企画やマーケティングによって人を喜ばせるようなアイデアを考えることだったことに気がついた。そして、このままでは自分の好きなことができないと思い、大学に編入するしかないと結論に達した。

高専4年生に進級して、すぐに大学工学部の編入学試験の勉強を始めた。当時は、周囲と同じように工学部志望にしていたが、自分の好きな分野ではないとわかっていたし、向いていないことは確かだった。しかし、進路の軌道修正には大学工学部への進路しかないないと思い込んでいた自分は、どんどん睡眠時間を削って勉強するようになっていった。勉強中は「自分の進路にはまだ希望がある。」そう思い自分に言い聞かせながら、狂気的に勉強した。そうしているうちに、徐々に体調を崩し、気がつくと気管支炎と全身に蕁麻疹が発症し、入院してしまう。

友人がお見舞いに来てくれた時の写真
(いらないおもちゃを持って来てくれた。。笑)

病室では何もできなかったので、進路について色々考えた。

将来、何がしたいんだっけ

そして、大学に編入後は起業したい自分がいることに気がつき、工学部への進学が最適解ではないんじゃねと思った。そもそも工学分野は向いてなかったし、マーケティングや経営学が学べる大学に行こうと考えた。そして、学年末、大学の文系学部にも編入学試験があることを知り、なんとなく募集要項を覗く。

受験資格.”高等専門学校を卒業した者(平成30年3月までに卒業見込みの者を含む。)

高専から受けれるじゃん、、、やった。。。。

人生やり直しのチャンスが掴めた瞬間だった。受験科目は、3科目で経営学、経済学、マーケティング、会計、数学の中から1分野選択方式で、小論文、TOEICの3科目だけだった。そして、マーケティング論の過去問を見て、イケると確信した僕は思い切って進路を変更した。

高専5年生では、研究をしながら、畑違いの受験勉強をすることになった。そもそも合格に必要な英語力がなかったので、内心は焦りまくっていた。5年生の5月時点では、TOEICのスコアは500点で、合格の最低ラインは680点だった。でも、諦めなかった。研究時間中、データの前処理をしながら、シャドーイングをしたり、プログラムの実行中には英単語の暗記をした。途中、累積時間に満足してはいけないと、勉強記録を辞め、起きている時間は全て英語の勉強をした。そうしているうちに2ヶ月で1万単語ほど暗記できた。そしてその努力は報われ、2ヶ月間でTOEICスコア200点アップに成功した。

しかし、受験は失敗に終わってしまう。原因は過去問分析をしすぎたことだった。例年の傾向とは違う出題に対応しきれなかった。それに、合格ラインギリギリのTOEICスコアだったとことも原因だったらしい(この年の合格者平均は800点だったそう、、、笑)。来年受けると合格する自信はあったが、編入浪人なんて聞いたことがないと家族、親戚、教授からの猛烈な反対され、進路変更のチャンスを諦めた。そうして、進路がなくなった僕は同学校の専攻科に進学する。

高専専攻科

その後、「起業する夢」は「大学院で起業する」という目標にカタチに切り替えた。その代わり今は研究に打ちこむことにした。しかし、起業したい気持ちが強すぎた僕は友人に起業したいとを語るようになっていった。そして、これがキッカケで僕の人生は大きく狂っていく。

2018年9月7日の早朝。友人があるものを送ってきた。

僕がさらっと話していたアイデアをアプリにしてくれていた。(天才かよ、、)これをキッカケにアプリ開発をスタートし、プライベートの時間は全てこれにつぎ込だ。

空いた時間を見つけては友人と集合し、なんちゃってハッカソンにハマっていった。(深夜のコンビニのカフェテリアで作業していたこともあった、、今考えると恥ずかしい、、笑)そうするうちに、中学時代の同級生も巻き込んでどんどんハマっていった。

2018年10月、またまた転機がやってくる。こどもプログラミング教室でバイトをしていた僕に創業スクールに入らないか??とお誘いをいただき、すぐに参加した。このスクールでは、連続起業家の家入さん(@hbkr)や わざわざの平田さん(@wazawazapan)を始め多くの起業家の講義を始め、事業アイデアをブラシアップしてくれる環境に恵まれた。そうしていくうちに、 我慢していた起業への思いをますます大きくなっていった。そして、2018年12月、個人事業主届を提出し、起業する決意をした。
一方で、学校はどんどん中途半端になっていった。研究の時間でもアプリ開発に気を取られ、研究時間中も手付かずになっていった。研究室の先生に対してコミットできていない自分の状況が本当に嫌だったが、ハッカソンは辞められなかった。友人と何かモノを作っている時間が本当に楽しくて、これこそが自分が人生をかけてやりたいことだ実感した。

2019年1月のある夜、こんなことを考えた。友人から

会社を作るから、きて欲しい

と言われたら、自分ならどう答えるかなーと考え込んだ。この遊びで始めたアプリ開発を仕事にしよう!!!なんて馬鹿げてるし、不安しかないだろうなぁと思った。僕は大した学歴もないし、経営を専攻しているわけでもない。そんな奴に経営なんか任せるのは恐い。僕はそう思った。と言うのも、僕の友人は本当に良い大学に在学しているし、そのまま卒業すると、就職もすぐ決まるはずだった。自分の夢に他人の人生を巻き込むことに責任を感じ、休学して全力で勉強しようと言う結論に至った。

休学できない

研究だけでなく、全てが中途半端になるのが嫌だったし、生き方として許せなかった僕は、素直な気持ちを学校に伝えにいった。

基本的に精神疾患か大病じゃないと無理なんだよねー。休学には診断書がいるよ。

そもそも休学しても、戻って来る気は無いんでしょ? 復帰が前提にない休学は認められない。

所属学科と起業の内容が全く違うからね〜、学校としては応援できない。

設立資金はクラウドファンディング?? それって詐欺になるんじゃないの??

なんと、休学は認められなかった。どうも復帰が前提にない休学は認められないらしい。その後、色んな先生から「高専生は普通、、、、」とか「清水の生き方じゃどにもならんぞ」などと指摘を頂いたが、6年間で見つけたことに自信があった僕は退学を決意した。

2019年3月。僕は6年間通った高専を辞めました。

高専6年間で、学んだこと

何かが起こることに期待するのではなく、

キッカケを作るために行動していかないといけない。

この6年間、曖昧な感情を見逃さず、常に自分の気持ちと周囲の反論に向き合ってきたからこそ、得たものだ。

良い転機は訪れるものではなくて、疑問や問いを持って、行動したからこそ、生まれていくものだと思う。

でも現実には、それが難しいと諦める人は本当に多い。

それは、個性を潰す環境に問題があるからだ。

だから、今後は僕が”発信“することで誰かにキッカケを与えられる人になりたい。

こうやってnoteで思いを綴ったり、

自分のアイデアをサービスとしてカタチにしたり、

今は抽象的な言葉でしか表現できないけど、

2年目、3年目、、と重ねていく中で、モノにしていきたい。

そして、誰かの幸せのキッカケに繋がるモノを作りたい。

今後始める事業を通じて、実現できるかはわからないけど、

個性を潰しかねない、生きにくい世の中を僕は変えていきたい。

今後について

現在は、津山の創業スクール出会った、山田さん(@kun1aki)に誘われて、conote inc.でインターンをさせてもらっています。業務のサポートで自分の能力が伸びていっているのを感じるし、学校を辞めて、働いていたからこそ痛感できた今の実力に向き合い、研鑽していきたい。

そして、僕自身の事業はGW明けにプレスリリースを出す予定です。個人が思い出を売買できるC toCのサービスを開発中で、旅行のコア層が旅行計画者のコンシェルジュをするサービスを現時点では想定しています。将来的には、予約代行を全て受け持つサービスを目指すので、旅行系ブロガーさん、バックパッカーの方は是非以下のリンクより登録してみてください!

もし、VCやエンジェル投資家の方がおられましたら、ご連絡いただけると嬉しいです!


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