


【イベントレポート】高専キャラバンの2日目に参加してみた。

【イベントレポート】高専キャラバンの1日目に参加してみた。

2つ目のパネルディスカッションのテーマは「ものづくり2.0」。登壇者は次の4名だ。
ものづくりを取り巻く環境が激変している現代。企業・個人問わず、価値あるモノを生み出す能力が尊重される社会において、更なる高みに至るために必要なモノは何なのだろうか。登壇者の方々に熱く語っていただいた。
まずはじめの疑問、「高専の教育と実社会、両者はマッチしているのか」。ユニークではある反面、閉鎖的なコミュニティになりがちな高専で得た知識、そしてものづくりに対するアプローチ。これらは本当に実社会で役に立つモノなのだろうか。
最初に答えるのは櫻井さんだ。長岡高専の電子制御工学科から、編入後は専門を変えてデザインを学んだ経験から感じたことを語る。
「高専時代はプログラミングを学んで、卒業研究でバッティングフォームの画像解析みたいなことをやっていました。この時は、『こういう技術があって、この材料はこんな特性があって、だったら世の中のこういう場面で使われるよね』というプロセスでモノを作って論文を書いたんですよ」
多くの高専生が経験してきたように、技術や材料が先にあり、それを実社会にどう活用するか、という順序で考えるのが工学のやり方だ。しかし、デザインの世界ではその順序が真逆だったという。
「でも、デザインを学び始めると、突然『23歳の奥さんに向けてベビーカーを作りましょう』とか言われるんですよ。モノを実際に使う人から始まって、『23歳の奥さんのこういう働き方があって、それに合うためにはこういうサービスや技術が必要です』という感じで。同じものづくりでもプロセスが全く違うんですね」
『○○ドリブン』という言葉が無数に存在するように、分野によって何をものづくりの中心に据えるか、どのような道筋で成果物へと至るかは全く異なる。そして、ビジネスの上でのものづくりには、作り手と使い手両方の視点を持つことが必要なのだと、櫻井さんは言う。
それとは対照的に、「基本『オレ得』なモノしか作っていない」と答えるのは福野さんだ。
「14年前のガラケーの時代ですか、パケット使い放題の料金プランが初めて出てきたと。『そりゃあ、使い放題ならパソコンサイト見たいよね』と思って作ったのがjigブラウザ」
jigブラウザ: https://jig.jp/service/jigbrowser/
「で、頑張って作って公開してみたら、意外とダウンロードされちゃって、『やべえ(笑)』って。その後で、今みたいにクラウドじゃなかったから、電話して『サーバー10台貸してください!』みたいな」
14年前ともなると、初代iPhoneが登場する2007年から更に3年も前の話だ。App StoreやPlay Storeが存在しないのはもちろんのこと、アプリ広告等も今のように発達していなかった時代である。
「とにかく、『自分が使いたい』から作る。自分がファーストユーザーなので、どんどん改良も楽しくなってやってく、みたいな。最近楽しくてやっているのは……」
「光ってる?光ってる?」と言いながら、福野さんは頭にかぶった毛糸の帽子に手を伸ばす。帽子の周囲には、福野さんが開発したシングルボードコンピュータ・Ichigo JamとLED電飾がついており、Ichigo Jamによる制御でチカチカと光る。
「Ichigo Jamって言うんですけど、CPUが50MHzで動いて、プログラミングし放題。そんな開発環境がたった数100円で手に入っちゃう。いつの間にソフトウェアってこんなに手軽になったんだろうって思って、昔使ってたMSXみたいなコンピュータを子ども達に、ってやってるのが結構楽しいんですよ」
コンピュータのスペックと技術の進歩を幸せそうに語る福野さんの姿は、いち企業の経営者というより、電子工作やプログラミングにのめり込む高専生そのものだ。
「さっき、高専の教育が社会と合っているかって話がありましたけど、大昔から高専って学校は社会と合ってるわけがないんですよ。それにそもそも、自分が欲しいと思ってない話って、聞いたって無駄なんですよね。全部忘れるじゃないですか。なので、無理やりにでも欲しいと思うか、欲しいと思うモノだけに集中するのが大事なんじゃないかなと」
関さんがGunosyをリリースしたのも、最初は『自分達が欲しい』という感情が大きな原動力となっていたようだ。
「ニュースを見るってなった時に、自分でニュース探してくるのめんどくさいし、『オレの好きなモノはオレのTwitterに書いてあるんだから、感情に合うニュースはそっから勝手に集めて来て欲しい』みたいな気持ちがあって、それがGunosyというサービスを作った最初のきっかけでしたと」
しかしここから、サービスを大きくしていく段階で福野さんとは大きく方向性が分かれる。
「ただ一方で、Gunosyって最初は『あなたにぴったりマッチしているニュースを人工知能が見つけてきます』というキャッチコピーのサービスだったんですけど、サービスを大きくしていくってなった時に、自分が読みたいニュースを明確に持っている人じゃないと刺さらないことに気づいたんですよね。で、世の中の人って、自分はどういうニュースが読みたい、自分はどういうことが好きかみたいなのを明確に持っていない人のが大半で、ニュースに求める価値がそもそも自分と全く違ったんですよ」
世間一般の人々にとって、ニュースは『何となくテレビをつけたら勝手に流れてくるモノ』であり、ニュースに対して『自分の知りたい情報を知る』という価値を求めるのは非常に珍しいケースだったのだ。そして、ニッチに留まらずサービスを大きく拡大するには、外側にいる世間一般の人々をもっと取り込みにいく必要があった。
「こういうところは、やってみないと分からない」と関さんは続ける。
「やった上で、自分達の良いと思ったモノは社会のごく一部の常識でしかなかったと。なので、途中からもっと大きなモノを捉えるために、『自分達が作りたいモノを作る』というところから抜け出して今に至るんですけど、それまでごく一部しか見えていなかったことは、誰かに使ってもらったことで初めて気づけた、そういうことだと思います」
ビジネスのフィールドで、より大きな利益を得る、より多くの人に使ってもらうことを目的に据えた時、自分達の作りたいモノと作るべきモノが必ず一致するわけではない。しかし、両者が一致しないものづくりにもまた違った面白さがあり、それはそれで楽しくやれている。関さんはそうまとめた。
内なる欲求を原動力に作ったプロダクト・サービス。これらが成長し、多くの人に使われるようになる。ものづくりに関わる人間であれば、このことは誰もが幸せに感じるに違いないが、様々な問題や困難も同時に生じてしまう。
ソフトウェアエンジニアの佐藤さんは、メルカリという巨大サービスの間近で働く1人として、現代のものづくり現場における高専生の価値について語った。
「小さなプロダクトを最初に作るのは最近すごく簡単になってきて、クラウドが出てきたり、Railsを使えばサーバーサイド簡単に書けるよとか。ただ、これがメルカリみたいなデイリー10万出品あるようなアプリが、プロトタイプ段階で動くかって言われたら全然動かなくて」
誰でも簡単にアイディアを形にできる。そんな時代だからこそ、大きくなったサービスでは殊更高専生のスキル・能力が活きるのだという。
「大きな負荷の下でも使えるようにするには、サーバーの構成やアプリの設計をしっかりする必要があるんですけど、ちゃんと基礎知識がある人じゃないと全然太刀打ちできないんですよ。その点高専生って、既に知識はあるのでちゃんと考えればできるし、アプリが山ほど生まれて山ほど消えていく現状だと、しっかり成長するアプリを設計して届けられるのは高専生の強みじゃないかなと思います」
数学・物理・専門科目の素養と学問的な基礎。加えて、福野さんはエンジニアとしての強みを磨くために「失敗の大切さ」を説く。
「僕、8歳からプログラミングをしていて、今年でプログラミング歴32年になるんですよ」
同じ高専生から見ても圧倒的な経験年数だが、数字にこだわる福野さんではない。
「プログラミングと言ってもたくさん分野があるし、ダメなところはダメなんですけど。ただ、たくさん失敗することってやっぱり大事で、失敗すればするほど勉強になるんですよね。転びながら覚える勉強法が1番早くて、モノ作って『あ、ウケなかったな』っていうのを何回も繰り返す、その機会をひたすら増やしてあげたらいいんじゃないかな、と思って」
モノを作り、周囲から評価してもらう。そんなIchigo Jamを活用したICT教育の活動にも力を入れている福野さんは、「優秀な高専生を育てるため、小学生に教えている」と続ける。
「高専に入ってから、『プログラム合わないな』って思うのかわいそうじゃないですか。だから、入る前に『こういう世界でもっとやりたかったら高専だぞ』ってステマしておくんですよ」
福野さんの巧みなステマ作戦により、来年からなんとIchigo Jamの一期生が福井高専に入学するそうだ。Raspberry Pi・Arduinoといった競合ひしめく中でも、着実に成果を出すIchigo Jamは驚異的なプロダクトだと言えよう。
そして福野さんの強み、それは他の高専生と比べ、失敗を7年分多く経験していることに違いない。しかも、福野さんの話に出てきた失敗は『作ったモノがウケなかった』。すなわち、作って、表に出した、その上での失敗なのだ。これは、『動かなかった』『思った動きと違う』といった技術的失敗だけでなく、より高次元での失敗を普通の高専生の何十倍もしてきている証左といえる。まさしくこれが、15年間jig.jpで作りたいモノを作り続けられる、その原動力となっているのだろう。
『失敗』に関する話題には、関さんも加わった。
「ビジネスの世界でよく言われるんですけど、『成功する方法に再現性はない』、ビジネスの成功って基本的に運が良かっただけだと。一方で、『失敗する方法には再現性はある』という話があって、地雷がたくさん埋まってるところを避けることはできる。まぁ避けられるだけで、結局成功するかは運なんですけど」
ビジネスの世界での格言。同じことがものづくりにも言えるという。
「同じことがものづくりにも言えると思っていて、たまたま上手く動いちゃう時あるけど、動かない時って大体再現性あるじゃないですか。だからいっぱいやっていっぱい失敗しないといいモノって作れないし、面白く世の中を変えていくには必要なことなんじゃないかなって、思ったりしますね」
関さんは社会と関わる中で、ビジネスとものづくりの共通点を見出した。ではなぜ、このような社会との接点を高専生は見つけ出すことができないのだろうか。櫻井さんが、その答えの1つを提示する。
「そういえば高専の授業って、あんまり実践的ではなかったのかなっていう。自分もセンサー工学とかの実習をした時、『どうやら圧電素子でこれが測れるらしいぞ』と。でも、仮に測れたところで結局どうなるのか、分からないんですよね。だから、『僕は何のために今圧電素子を振っているんだ……?』みたいになっちゃうし、自分がこなした実験や課題が将来どこにつながるか、全然イメージできない」
櫻井さんの言葉の最後の部分は、多くの高専生が感じたことがあるだろう。
「基礎も大事ってよく言われるけど、基礎は必要性を感じないとやらないし。今でこそ、高専時代の電気回路の授業の重要性は痛感するけど、教科書を暗記する授業に意味があるとは未だに良くわからないですし」
関さんが補足したように、高専で学ぶ理系科目、および専門科目が高度な内容であることは事実で、社会に出てからその重要性に気づくパターンは非常に多い。だが、それを学生の時に気づくことは、現状を鑑みると難しいと言わざるを得ない。
そんな高専での勉学について、福野さんから真理に近づく一言が飛び出す。曰く、「これからの時代、好きなこと以外で生きていくのは甘い」のだという。
「今の時代、好きなこと以外で勝てるわけないんですよ。世界中の色んな国に好きなことしてるヤツがいるわけで、大して好きでもないことでそんな人達とまともにやりあっても、パフォーマンス出るわけない」
それよりも、好きなことを突き詰め、その好きなことを足がかりに必要な知識を取り入れ、好きなことの世界を広げるべきなのだという。
「好きなことに必要な知識を貪欲に取り入れて、好きな分野をどんどん広げていく。そうやってやっていたら、勉強なんかしてる場合じゃないと思います」
福野さんの話に、『好きになる力』という切り口で入り込んだのは櫻井さんだ。
「『好きになる力』って、めっちゃ大事だなと思っていて。例えば僕だと、デザインやビジネスの方でアンテナができるわけですよ。それで山内農場とか行った時に、ブランディングの観点で言えば『地域特化型のこういう風な感じなのか』とか、『モンテローザ系列なのね、なるほどね』とか。要は、今まで見えなかった素敵なモノ達が見えるようになって、好きになる領域がめっちゃ広がったんですよね」
櫻井さんと同じく、大学で文理融合系の学科で学んだ関さんも同調する。
「必要だから複数やらなきゃいけないじゃなくて、興味を持ったことに対して集中してガッと取り組むのが大事かなと思ったりしますね。『知らないことを知る』ことを楽しく、つまり知的好奇心に沿って色々やってみたら、いつの間にか世界が広がっているくらいが基本的に良くて」
自分の興味や知的好奇心に対して素直に行動し、一定期間集中し継続して取り組むことで世界はいつの間にか広がる。そして、世界が広がれば広がるほど、一見関係のないように思えた知識・経験同士が結びつく可能性が高くなり、また新たな発見、そして自分の世界を更に広げるエネルギーへと繋げることができる。このことに関して、かのスティーブ・ジョブズの『connecting the dots』という言葉が想起されるが、意味するところは同じだと言えるだろう。
質問コーナーでは、修士号・博士号取得に関する質問が投げかけられた。質問者はフラー株式会社のエンジニアの方で、自身もフラーにジョインする際、大学院修士課程を抜けた経歴をお持ちだそうだ。
特に欧米諸国での就職において、時に大きな壁として立ちはだかる修士号・博士号。中心となって回答したのは関さんだった。
「博士号は、よく『足の裏の米粒』って言われるんですよね。つまり、取らないと気持ち悪いけど、取ってもあんまり意味がない」
会場を笑いの渦に巻き込みつつ、更に補足する
「ただ、取ったら取ったで上手く活用はできて、特にアカデミアの世界では免許みたいなものなので、会社で研究やる分にはすごく有用ですと。そう言いつつも、博士課程にいた時やっぱり結構大変だったので、『取った方がいいか?』みたいな損得で考えているなら取らない方がいいかな、みたいな話で」
日本と海外での社会的な扱いが大きく異なり、取得まで決して短くない時間と多大な労力を必要とする修士・博士。関さんの回答は、基本的に「国際的に評価される1つの指標で、キャリアのショートパスとなりうるモノ」だと理解した上で、「欲しかったら取る、または自分のやりたいことに必要であれば取る」というものだった。そして、その答えでもなかなか決定を下せないであろう後輩達に向け、更に突っ込んだアドバイスを付け加えた。
「結局、自分が選んだモノを正解にするしかなくて。人間2つの道を同時に進むことって不可能だし、修士・博士を取った後に『やっぱ取らなきゃよかった』って後悔しても仕方ないし、その逆もまた然りで。なので最終的に、自分がその道を選んだってことがプラスになるように自分自身の人生を設計していく、っていう風になるんだと思います」
パネルディスカッション終了後は、セッション会場での懇親会がスタートする。ピザ、お菓子、ソフトドリンクが広げられたテーブルで、登壇者を囲み自由な会話に花が咲いた。
そして、そのまま2次会会場へと移動。予約したお店の半分を占領する大量の高専生、そして成人済みのメンバーはアルコールを片手に、学生時代の思い出や仕事の話、先輩への進路・キャリア相談、愛するラノベや推しのアイドルに対する熱弁等々、ありとあらゆる話題で盛り上がった。
同年代のたった数%にしか満たない高専生、その中でも一際ユニークで、今以上に情報の少ない中を自らの力で切り拓いた登壇者の方々の話は、端から端まで濃密で、聞き逃すことのできない貴重な体験談だった。企業の代表やラノベ作家など、ただいつも通りの日常を過ごしているだけでは絶対に交ざることのない方々を間近に感じ、自分の生の声をぶつけることができる機会は、高専生であるからこそ得られたモノであると断言できると思う。そして、今日のような都道府県の枠を超えた高専生同士の情報共有、交流は、間違いなく今後の高専界隈、そして日本の未来に良い影響を与えてくれるに違いない。
最後に、今回のK-SAMITの企画・運営に携わった全ての方々に謝辞を申し上げ、このレポートの結びとさせていただきたい。
執筆:にしこりさぶろ〜
編集:大久保