進路に悩んでいる高専生にも悩んでいない高専生にも

考えながら実際にやってみる。高専卒業後、自営業を営み、そして新しい道へ。

経歴
2000年 岐阜高専建築学科卒
インテリアコーディネート事務所に入社、ハウスメーカーのモデルルーム、ホテルや店舗、住宅などのインテリアコーディネートを手がける。
2003年 アイアン家具メーカーの企画・営業。ものづくりや企画営業のノウハウを身につける。
2010年 独立し、雑貨とファッションのライフスタイルショップを始める(店名は「メランジェリカ」から途中「長月」へ)。物販だけでなく、店内外でのイベント企画も得意とし、今まで100以上開催して来た。
2016年 街を楽しむ人たちのコミュニティ、一般社団法人かかみがはら暮らし委員会を仲間たちと立ち上げ、KAKAMIGAHARA STANDなどカフェを運営したりイベント企画などをする。
2020年 長月を閉店。
趣味は、知ること、考えること、楽しむこと。

岐阜高専の建築学科を卒業後、転職・独立・店を閉店し別の取り組みをするなど、様々な決断をされているオゼキカナコさん。

今回は、そんなオゼキさんにやりたいことをやっていく秘訣を聞いてきました。

1, 高専に入ったきっかけは中学時代の周りの雰囲気が合わなかったから。

そもそも高専に入ろうと思ったきっかけってなんだったんでしょうか??

知ったきっかけから話すと、父親に教えてもらったんです。
私、家が田舎すぎて、トイレも外にあったりとか古くてそれがとても嫌で、友達も呼びたくないくらいでした。小さい頃からもっと素敵な家とか素敵な家具に囲まれて暮らしたいなという空想をしているうちに、自然にインテリアや建築に興味を持つようになって、そういう話をよく親にしてたんです。
父は地元の役所に務める公務員で、土木関係の仕事をやっていたんですね。「建築関係なら高専が一番だぞ。目指すなら高専を目指しなさい。」みたいな感じで教えてくれたんです。

小学・中学と過ごしていく中であんまりクラスの子と馴染めず、友達も少なくて。地味な暮らしをしていたんです。
話があまり合わないというか・・・。音楽や映画の話をしても趣味が違うとか、私が考えてることもみんなにわかんないって勝手にちょっと大人びた感じでいて。
「普通科に行くってことは、このまま中学の雰囲気が続くんだろうな。」って思ったらちょっとありえないなと思いました。とにかく専門の勉強をして、大学に行くよりも就職したい、さらに寮があるので親元も離れられるって聞いて自然と高専に行きたいって思うようになりました。

私、幼い頃から自立心が強かったのと、厳しい家庭だったので家を出て1人で生きてみたかったんです。
数学が弱くて、学力がギリギリだったんですけど、なんとか受かりました。

実際に入ってみて、中学とは違う環境でしたか??

あんまり授業のイメージとか勉強した内容を覚えてなくて・・・。とにかく自由な校風でしたね。
厳しい家庭環境から高専デビューしました。笑 髪をピンクに染めて、ピアスあけて、バイトもして。バイトしまくってお金貯めて、CDや服を買って、映画観たりライブ行ったりって趣味に明け暮れる感じでした。

だけど、高専でも趣味が近いなって子は実は少なくて、、、決まった仲の良い子だけとか、自分1人で好きなことを勝手にやってる感じでした。クラスみんな仲良くて楽しかったけど、本当に話せる仲の良い子は限られていたし。授業サボってライブ行ったり、教室に好きなアーティストのポスター貼ったり好き勝手やってたけど、他にも個性的な子はいっぱいいて、自由な校風だからかあまりとがめられない感じでした。
理解されなくても、みんな自由にやれるっていう点では中学とは違ってよかったかな。

1995年、高専入学時のオゼキカナコさん。祖父母と一緒に撮ったときの写真。

この頃、趣味があってやりとりしてた子たちがいたおかげで、好きな音楽から受けるものや、デザインの知識とか映画から受けるイメージなんかも培われたと思います。

2, 就職先が決まったのは5年の冬。だけど先生からは心配されなかった。

自由に過ごしていく中で、進路についても考えてたと思うんですけど悩んだりはしませんでしたか?

高専では建築だから図面を引くかなって思ってたんだけど、ずっとセメントをねったり、構造計算したりする感じだったんですよね。つまり、ゼネコン寄りの授業を受けるところで、自分がやりたかった小さな家の設計や、素敵なインテリアデザインを考えるところじゃなかったんです。

だから、3年生の時に「勉強が難しすぎてついていけない。インテリアのことやりたかったのに。」と、専門学校に転入しようと思ったりもしました。インテリアやファッションに興味があって、華やかさに憧れてたんだと思います。

それでも結局残ったと。何かきっかけはありますか?

残ったね、、、なんでか知らないのですが。笑
制服も嫌だったんだけど3年から着なくてよくなったし、バイトもしだして、ファッションや映画とかの趣味もできて。勉強もサボったりしながら、それより楽しいことがいっぱいあったからなんとかなってたのかな。いつの間にか自分で楽しむ方法を見つけたって感じです。

自由な時間や校風がやっぱりよかったんだな〜と。

そんな中でインテリアやファッションは趣味として自分で学んでたり…??

そうですね。在学中も有名な設計事務所のオープンデスクに行かせてもらったり、別の事務所でバイトしたり、遊びに行ったりとかしていました。卒研でも唯一設計のできる意匠系の研究室にいけて、そこの先生と趣味があったり、好きな音楽の話したりして楽しかった。建築にもいろんな方向性があるなって知れたのも、勉強だけじゃなく研究室や外での活動のおかげかなと思います。

1999年、高専建築学科、研究室での写真。

そういった中で高専からの進路も考え始めて…

時期はちょっと遅かったかもしれないですね・・・。
ゼネコンや公務員などを選ぶ子たちはみんな早く始めてたけど私はあんまり考えてなくて。卒業する前の冬?だったかな。

ギリギリですね!先生は心配したんじゃないですか??

いや、そんな感じはなかったですね。笑 自分で勝手になんとかするって思われてたんじゃないかな。

そのころは就職氷河期で、就職率が無茶苦茶低くて、どこも入りづらかったんだけど、高専はそれでも就職率が高くてどこかでは就職できる感じだったんですよね。
でもそれって大体がゼネコンや大手の企業だったし、編入で大学にいく子や公務員になる子も多くて。私の場合は個人の地元のインテリアコーディネート事務所に入ったからみんなとはちょっと就職先の発想が違ったのかもしれないですね。

高専入学した頃にちょうどWindows95ができて、まだまだ家にパソコンあるのが普通じゃないような時代だったんですよね。スマホどころかケータイ電話もないし。そんな中でみんなが見るような就職用の資料には大手企業ばっかり並んでたけど、ネットで調べるのが好きだったから自分で調べてた。それで、インテリア系の仕事で探していて、岐阜県にあるのがその事務所だけだったんですよね。求人に関しては何も書いてなかったから自分で実際に事務所に問い合わせて、面接してもらって、無事決まったって感じです。

進路について誰かと相談したりはしたんですか…??

どうなんだろう。忘れちゃいました。笑 
研究室の先生は存在として大きくて、好きなことやりながら先生してるのを横で見てたから、嫌なとこに就職する必要性を感じなくなったんだよね。大手でも何やるかわからないところよりは、なんとなくいいなと思ったところに就職したいなって感じでした。

軸がしっかりしてますね…

そのころはこんなに考えてなかったんだろうけど。今思えばって感じですね。

長月をやっていた時期は、オゼキカナコさんが気になる作家などを招いて多くのイベントを開催。

3, 社会人になってからは、やめた後に考えるスタイルに

2000年に就職されて、2003年に転職されてますよね。このきっかけってなんだったんですか??

2年くらい働いたのだけど、最初の1年が超激務で。
インテリアプランも図面も描くし、打ち合わせも自分でやって現場も行って納品したり監督したり・・・って、とにかくなんでも自分でやる感じでした。朝まで会社にいたり。

でも、すごく楽しかったんですね。だけどその1年後にいろいろ吸収してきなさいということで名古屋の家具屋さんに出向になって、そこがその頃はすごく超高級家具屋さんで、お客さんの数がすごく少なかったんです。以前の激務から誰も来ない場所でぼんやり待たなきゃ行けない仕事の落差で調子が狂っちゃって。

1年経って戻ってきてねって言われたんだけど、もうこの後の激務に耐えられないなと思って戻れませんでした。。やめて、そのあとはずっとフラフラしてました。

次の転職先とか決める前にやめたんですか??

先は決めずに、やめたかったらまずやめるってスタイルで生きています。笑
で、何か見つかったら進むっていう。

決めてからやめるより、やめてから決める方がどうやら性に合っているみたいで。
半年くらい無職で貯金を切り崩しながら生きてたんだけど、先輩のインテリアデザイナーが、親のやっている会社で新しい事業部作るからってことで呼ばれて手伝うことになりました。そして、バイトとして働き出して、社員になって…7年くらい働いてました。

ここでの7年間はどんな日々だったんですか??

このできたての事業部で7年いろいろやらせてもらって、、、やっていくうちに自分たちで仕事を作っていくことの面白さに目覚めました。
営業も図面を引くのも、工場に指示を出すのも、出来上がりまでの管理も全部自分。とにかく物づくりのノウハウはかなり分かったなって思ったし、自分で仕事を作るどころか、一から会社を作ってるという感覚がすごく身について、やろうと思えばなんでもできるなって思うようになりましたね。この7年間で学んだことは本当に大きかったですね。

2010年、長月の前身となるメランジェリカオープン時。7年間働いた会社を辞めた後、独立した。

そこから独立されたきっかけって何かあるんですか?

人間関係で悩みがあったり、結婚をしたりしてライフスタイルが変わったりなどして、ちょっとしんどくてこのままでは続けられないな・・・ということで、辞めることになりました。

とはいえ、すごくお世話になった会社で、社長のことも大好きだったので、今でも交流があり仲良くさせてもらっています。

だけど、ここでも先を決めてないから、半年くらい無職でした。笑

その後、インテリア関連のアルバイトを始めて、ちょっと面白くなってきた頃に、夫の勤めていた不動産会社が「運営してる店舗を手放すから、あんたの奥さんやらないか」と、話をいただいて。。「やるやる」とすぐに返事しました。

探してたんじゃなくて、話が舞い降りてきたんですね。

そうですね。その時は何をやりたいかよくわからなかったんだけど、インテリアコーディネーターとして独立しようかなとか、会社員ではなく自分で何かをやってみたい気持ちはありました。それで、旦那さんのバックアップもあって、お金のことも気にしなくていいなら、やってみようと。「独立」にワクワクを感じて、ほんの1週間くらいで決めました。

2010年、独立当初のお店の風景。元々はすごくファンシーな雑貨屋だった。

独立してからはどういうった感じだったんでしょうか??

譲り受ける前、元々経営されていたお店はすごくナチュラルでかわいらしい雑貨屋さんだったんです。そこの在庫を買い取ってその雰囲気をそのまま継続していく感じだったので、お客さん的には経営者が変わったなんて気づかなかったと思います。でも、シンプルなものが好きな自分の趣味とはちがうなと感じていて、はじめの数年はそのまま可愛らしいお店でい続けるのがやっぱりしっくりこなくて、、、徐々に自分の好きなものを取り入れていくことにしました。
途中、夫も会社を辞めて、一緒にやるようになったり。そのタイミングでお店もリニューアルして内装や店名も変えたりしました。

雑貨店としてモノを売りたいというより、もともとは単に独立したくて始めたので、ずっと「かわいい雑貨を売ること」に違和感があったんだと思います。

2015年、リニューアル時の写真。旦那さんと一緒にやり始める。

お店を始めた最初の1、2年はずっとモヤモヤしてました。
モノを売るだけじゃ私自身が面白くないと思って、お店の一角でイベントをやり始めたんです。
気になる人を呼んでトークイベントやったり、作家さんに作品をたくさん送ってもらってポップアップショップをやったりしてたら楽しくって。

新しいものや自分が良いと思うものをお客さんに伝えたりするのが楽しくて、これをやり出したらあっという間に月日が経つようになりました。
なので、10年間、モノを売りたいとか、雑貨を売りたいという気持ちではやっていないですね。笑

10年くらいやっていく中で辞めたいと思うことはなかったんですか?

そんなになかったですね。10年間、とても楽しくやれました。お客さんと話すといろんな人がいることを知れたりして毎日が面白くて。
でも、最初の方、1年くらいはすごくやめたい時もありました。笑 会社員時代に大きい物件を手掛けたりする中で、謎の万能感を感じていたので、、、雑貨屋という小さな商売をやることが、少し不安でした。置いてある商品が好きな物と違うこと、内装も前のままで「自分のお店じゃない」と思ったりして、独立できた高揚感はあったけど、そのギャップにもモヤモヤしていました。

規模感の違いというか。歩みがゆっくりに感じちゃったんですね。

そうなんです。会社員時代はガンガン大きな物件を手掛けて、関西から関東まで営業にも行って、能動的だったのに、雑貨屋になったとたんお客さんをひたすら待って小さな物を売る、みたいな。
私このままじゃ何もできない人になってしまうんじゃないかと不安でした。でも今思えば全然そんなことなくて、自分のやり方次第だな〜と、気づいてからは全てが学びで、楽しくなってきました。

イベントを作り出すことで、自分がやりたいこともできたし、そのイベントを通じて作品について提案をすることで、お客さんが喜んでくれたり、どんどん変わっていくのを目にするのが嬉しかった。自分のやることが、お客さんの価値観までも変えていくというのがすごいことだなと思ったんです。会社員の時はエンドユーザー(個人)に対してじゃなくて、会社対会社だったから大きい仕事もできたんだけど、その先の本当に使う人たちのことが見えてなかったなと気づいて。むしろその先の一人一人の方が大事じゃんってことに気づけたのは、お店をやったおかげだと思います。

10年目の境目に、お店を閉じられるということなんですが、これのきっかけはなんなんでしょうか??

そうなんです。完全に閉店しちゃいました。
4年前(2016年)にお店とは別で、一般社団法人かかみがはら暮らし委員会っていう団体を仲間で立ち上げてたんです。
経緯としては、、、まずマーケット日和という行政主体のイベントに出店させてもらったことがあって。そしたら次の年に、「よかったら企画に入ってくれない?」って誘っていただいて。企画ボランティアとして参加することになったんですね。

その中で、一緒に企画する仲間も増えてきて楽しくやっていたのですが・・・同時にボランティアでやるしんどさも感じていて。そこで、どうせなら事業にしようという話がでて、拠点も作って、そこを中心にさらに楽しい企画をいろいろやってこうよということで会社を立ち上げました。それから、拠点となるカフェを運営しながら、イベントの企画やコミュニティづくりをやり始めたんです。それがKAKAMIGAHARA STANDなんです。
この活動の影響も大きくて、一度やめても何かできそう、という気持ちになっていました。

2つのことをやりながら3年くらい過ごされてきたんですね

そうですね。でもどちらかというと、かかみがはら暮らし委員会での取り組みはコミュニティを作ることが中心で、収入源というか仕事という点では長月がほとんどです。ただ、活動としてはかかみがはら暮らし委員会のメンバーもだんだん増えてきて、イベントもやって、刺激が多くて、楽しい。学んだこともすごくあります。

長月を辞める理由って何かきっかけがあったりするんでしょうか??

いろいろあるんだけど、もともと「ずっとお店をやる」イメージはなかったので、ずっと前からどのタイミングでやめようかな?というのは漠然と考えていました。
売り上げも年々上がってお店としてはとても順調だったので、なんで?とかもったいない!って言ってもらえることも多かったのですが・・・やっぱり、どこかのタイミングで今と違うことをやりたかった。

その中でも、かかみがはら暮らし委員会の活動が自分的には刺激が大きくて、楽しい。近くの大事な人たちが楽しめる活動はすごいなって感じていて、そこをもう少し広げたいなと思っていました。

人が交流できる場所を作ったり、そこでイベントや販売もできる。長月というお店がなくても自分のやりたいこと、表現したいことがそこでできると思ったので、かかみがはら暮らし委員会があるならまあいいか、一旦辞めてみようと。いつものパターンで生きていけるかわからないけどとりあえず辞めてから考えようって感じです。笑

4, 好きなことをやるというより、嫌なことをやらない。

だんだんインテリアや建築というジャンルからお客さんの方に対する興味が増えてきたって感じですか??

物を売るだけじゃなく、提案や企画などをして、自分がやることで楽しいと思える人が増えると自分も嬉しいと感じるように変わりましたね。
1人でやるよりはみんなで企画した方が多くの人に楽しんでもらえるかなと。

そもそも知的好奇心が大きいので、自分が考えたり、知ったり、見たりするのが好きだから、自分が一番楽しめたらいいなっていうのはあります。

そうやって、自分が楽しいと思うことが、周りに広がったらいいな・・・と考えるようにはなりました。
好きなことをうまく工夫して、生きていければいいなぁっていうのはあるけど、特に不安はないですね。
これまで生きてきた中で不安ってあんまりないんですよね。笑

不安には思わないけど、適当にするわけじゃないということでしょうか??

そうですね、そうは言っても、やるときはきちんと計画して考えることはします。ただ、それは結果として正しいかどうかはわからない。
だから、すごく考えながらも同時に実際にやってみちゃう、すぐに動いちゃってる、というのが自分です。

あと、あまり夢とかやりたいこととかがなくて、どちらかというと偶然話が舞い込んで、たまたま働き出した場所で「楽しさ」や「学び」を見つけたり、「どうにかしたい」という課題解決の気持ちがあって進路を変えたり、そうやってやってきました。

好きなことより、嫌なことをやらない、という気持ちも、ここ数年は意識しています。
嫌なことをやらないというと、捉え方によってはわがままみたいに思えるかもだけど、もちろん、やる理由があることはきちんと努力するし、やりたいことのために学んだり、継続したり、大変なこともたくさんあります。

ただ、イヤイヤ続けるよりも、その中で楽しめる工夫ができたり、やり方を変えて逆に好きになったりできるように、知らないうちに工夫をたくさんしているんだなと思っています。

やりたいことをイメージしてから動くのではなく、嫌なことをやらない。辞めてから考える。そう言った生き方を今でも貫くオゼキカナコさん。高専生に向けてのメッセージをもらいました。

今だから言えることだけど、固定観念に囚われないことが大事かなと思います。やりたいことなんて多くは見つからないだろうけど、みんなと違ってもいい。どうなるかわからない先を考えるよりも今気になること、ちょっと先の未来、自分はどうなっていたいかを考えればいいんだと思います。

その環境に置かれてから、学ぶ姿勢や楽しむ工夫を忘れずにいると、いつでもどこでも豊かに暮らせます。大学を出なきゃいけないこともないし、何が安定してるかなんてこともない。自分で考えて、周りがどうしてようとどう言おうととりあえず何かをやってみるのが一歩。失敗もたくさんすればいいし、自分が楽しんで頑張っていると周りにもきっと楽しみが広がります。

そうやって実際にやってみれば、いつか自分の道に気づくと思います。
私もまだまだ道半ばですよ。


取材・執筆:大久保和樹
編集:成田琴美

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